CYBERDYNE


そのイメージは地球の辺境から宇宙の深淵まで際限なく広がる。
  • 深井国
     かつて映像のグラフィックビジュアルの可能性に挑戦した野心作として知られる『哀しみのベラドンナ』(1973年/虫プロダクション)で美術監督をつとめ、SFマガジン誌では空想絵物語連作「クニ・ファンタスチカ」(1975年~1976年/早川書房)を連載してグラフィック映像ファン、SF愛好家を魅了したイラストレーター:深井国氏の多岐に渡る長年の活動からアートとの関わりについてお話を聞いた。(取材:2025年2月/アトリエにて)
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取材について




※太字…インタビュアー

 絵を描き始めたきっかけについて教えてください。
 10歳以上年の離れた兄が絵を学んでいたので、その画材を借りて、10歳ごろから油絵を始めたのが最初ですね。デッサンもやりましたが、最初は油絵から入りました。その後、洋画家の古田十郎先生に個人的に師事しました。
 15歳のときに横浜の公募展「ハマ展」に入選し、それで「絵でやっていこうかな」と思ったんです。その頃、動物を主人公にした絵物語を描き初めて少年雑誌に売り込みまして、最初に掲載されたのが集英社の『おもしろブック』でした。それをきっかけに、さまざまな雑誌や新聞で挿絵を描くようになりました。
 イラストレーションの仕事としては、日本航空や国鉄(現JR)、電源開発の広報向けのイラストを手がけました。そのほかにも、テレビコマーシャルのイラストや舞台美術など、幅広く携わりました。
 アニメーション『哀しみのベラドンナ』が、実は初めてのアニメーションの仕事で、それ以外では、『SFマガジン』のイラストやキャプション付きの連載などを手がけており、最近は挿絵の仕事をぽつぽつやっております。

 先生がお兄さんや師事した先生から絵を学んでいたときに、影響を受けたものはありますか?
 兄とはかなり年が離れていてもう親父みたいな感じで、あまり相手にしてくれませんでした。戦争に行ってしまったので、家には兄が残した絵の道具や教科書のようなものがたくさんあり、それを読み学んでいました。


 先生が作品を作るうえで、アートや映画、音楽などで影響を受けたコンテンツはありますか?
 影響を受けたのはサルバドール・ダリ、デ・キリコ、彼のデペイズマンの表現法っていうのがすごくこうイメージを触発されたというか、それに結構影響を受けてますね。

  • ジョルジョ・デ・キリコ
    (1888-1978)

    イタリアの画家。
    「形而上絵画」を提唱しサルバドール・ダリなどに影響を与え、シュールレアリスムの先駆けとなった。


  • サルバドール・ダリ
    (1904-1989)

    スペインの画家。
    絵画や彫刻、商品デザインなど幅広く手がけた。当時スペインで盛んだったシュールレアリスムの運動に参加し、代表作『記憶の固執』を発表する。


デペイズマンとは
シュールレアリスムのひとつで、モチーフを本来の大きさから変えたり、あるべき場所から移して違和感を生み出す表現方法。フランス語で「異なった環境に置くこと」を意味する。


やっぱり影響を受けるのはアートが多いんですか?
 そうですね。それと音楽ですね。
 現代音楽なんかが好きで、めちゃくちゃな音がイメージを触発してくれるんですよね。
 ジョン・ケージっていうピアノをゴロゴロ動かしてぶつけたりする表現方法をやってる音楽家なんですけど、その中に『4分33秒』っていうがあるんですが、彼の楽譜っていうのが抽象画のような絵なんですよ。
 映画ではねスウェーデンの監督のイングマール・ベルイマン、『野イチゴ』とか『処女の泉』、『沈黙』、あと『第七の封印』とかこれはかなり影響を受けてます。
 幼少期に、親父がね大理石の輸入加工する会社をふたつぐらい横浜でやってましてね。
 大理石の模様がありますでしょう。小さい時から、あれが気に入りましてね。後を継ぐのが嫌だったんですけど(笑)
 今でもあの大理石の模様は好きですね。

  • イングマール・ベルイマン
    (1918-2007)

    スウェーデンの映画監督。
    黒澤明らとならび「20世紀最大の巨匠」と呼ばれる。

  • ジョン・ケージ
    (1912-1992)

    アメリカ合衆国の音楽家。
    実験音楽家として、演奏を一切しない『4分33秒』や前衛的な作品の数々を生み出した。


 ここでひとつ質問の項目を変えてもいいですかね?
 どうぞ、お願いします。
 漫画家のつげ義春っていうのがいるんですけれども、彼と何年か一緒に暮らしたことがあって。
 お互いに制作に励んでました。今評判になっていますけど、そのころに彼は、『ねじ式』を描いていましたね。
 つげ先生と一緒に暮らして、お互いに受けていた影響などはありますか?
 もうあの頃は人生で一番勉強になった時期だったと思いますね。彼には色々お世話になりました。
 全然違う感覚のものをやっていたんで話にならないんですが、ただ一緒にいるみたいなね。性格がうまくマッチしてるというか...。
 噛み合いがよかったんですね。
 そうですね、そういうところがありましたね。
 お互いに人間嫌いというか、うまく人間と付き合えない性格だったけどそこが上手いこといってたんでしょうね。


  • 『月刊漫画ガロ』1968年


  • 『つげ義春作品集ねじ式 改訂版』1975年


 影響を受けた国についてですが。
 いろんなとこに行ってまして、仕事絡みでインタビュアーなんかをやったりしたんですけど、イタリア、フランス、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、スイス、オランダ、ベルギー、オーストリア、オーストラリア、アメリカ、中国、その他いろんな国に行ってますが、みんな面白かったですね。
 各国を回ってらっしゃいますが、特に面白かった場所はありますか?
 そういえば、ベルリンの壁がまだ残っていた頃に訪れたのですが、その時の体験がとても面白く、強く印象に残っています。
 ブランデンブルク門の近くに「チェックポイント・チャーリー」という検問所があって、そこで僕らは全員、持ち物を細かく調べられました。カバンの中身まで全部開けられて、「よろしい」となってようやく通過できるんです。ただ、数時間後には必ずここに戻ってくるようにと言われました。
 東ドイツ側を回る中で、フンボルト大学にちょっと用があって立ち寄ったんですが、当時はまだ廃墟のような状態でした。何も片付けられておらず、戦争が終わったままのような光景が広がっていて、それがとても印象に残っています。
 同じ国、同じ市なのに西側では復興が進み、かたや東側では復興が進んでいないそのギャップが印象的だったんですね。

 先生の『クニ・ファンタスチカ』では「階層」が世界を構成しており、作品の要素になっているのですが、そのあたりは、そのベルリンの経験というのも影響を受けているのでしょうか?
 そうですね、その通りです。


  • 1961年のブランデンブルク門

  • 現在のブランデンブルク門
 お仕事でインタビュアーをしていたとありましたが、絵を描くだけではなかったんですね。
 そうですね、文章もやっていました。
 『winds』っていう日本航空の機内誌ってあるでしょ、あれに載せたり。結構ページを取ってましたね。
 ちっちゃく、文:深井国、絵:深井国と書いてあるとうれしくなっちゃって。
 文章を書くのもお好きなんですね。
 文章もかなり書きましたね、今でも結構書きますけど。
 エッセイなんかを頼まれますと、大体自然のことを書きますね。地球上はこれからどうなるかとか、どうしたらいいんだろうとか。


 現在作成中のイラストはありますか?
 童話の世界の少女をモチーフにしてるんです。似せて書いてるわけじゃないんですけれど、少女像を描き続けてます。それをちょっと続けて、まとまったらどこかで発表しようかなと思っているんですけども。
 90歳ですのでね、いつぽっくり行くかもわからないので油断なく。
 童話の世界の少女と言ったら、赤ずきんなどですか?
 そうですね、『不思議の国のアリス』とか『オズの魔法使い』とかに出てくる女の子です。
 少女たちをモチーフにしてそのまんまを描くんではなくて、ただ少女の像として描いてます。
 全く今までのイラストレーションとは違うと思います。

雑談
 僕と弟の趣味は父親の影響が大きくて、夏はキャンプ冬はスキーみたいなアクティブにやってまして。
 お父さんの出身は北の方なんですか?
 岐阜出身なので回りにスキー場が結構あるんですよね、なんでもう夏は海、冬は山に連れてかれてましたね。
 やっぱり、其方の方の出身なんですね。
 今長野に仕事場がありましてね600坪ほど敷地があってすごくいいんですけど面倒臭くなっちゃって若い友達に掃除とか任せちゃってるんですけど。
 長野県は過ごすには良い環境ですよね
 過ごしやすいですね、空気がいいですし。
 そうですよね、星も凄くきれいですし。
 一時期長野の郵便局に友人がいて、月一で長野行って温泉はいったり星を見に行ってたんですけど気候がどの時期でも過ごしやすかったのが印象に残っていますね。
 そうですね、やっぱ空気がいいんですよね。
 空気が澄んでますよね、空の青さもかなり違いますよね。
 そうですねブルーの濃い色でね、流星の時とかはすっごい綺麗でね。
 昨年、特急で東京から小淵沢に行ったときに電車から降りてまず都心と空の青さが全然違ってとても新鮮で「空がこんなに青いのかって」感動した記憶はありますね。
 僕のアトリエがね八ヶ岳の阿弥陀岳の下の方なんですけど、ものすごく空気が良くてですね、編集の人がしょっちゅう来ててね泊まってく人もいましたからね(笑)
 やはり過ごしやすいい環境がみんな気に入ってしまうんでしょうね(笑)
 本当に長野が好きすぎて一時期、新幹線使ってかなり行ってたので、JRのマイレージのようなポイントがたまっていましたね。
 車は乗られてたりするんですか?
 僕はレンタカーで運転してるんですが、長野行ったときとかは友達の車に運転してもらってましたね。
 山行ったら車は下駄みたいなもんで、ないとどうしようもないですよね。
 そうですね、八ヶ岳に星の写真を撮りに行ったときに本当に周りにコンビニとかもなくて。
 ポツンぽつんとしかないんですよ。
 八ヶ岳ちょっと登ったところにある牧場はすごい賑やかで富士山も見えて人気があって行ってみたんですけど。
 その時カメラの機材が5-6キロあって登ってたんで本当にしんどくて帰りタクシーを使って宿帰ったんですけど、その時に本当に車がほしいなと思いましたね。
 ちょっとした標高でもね息切れしちゃうんですよね、富士見台のほうに富士山にがよく見える場所があって、よく写真を撮りに来てる人が多いんですけど、よければ今度是非いらしてください
 それはもう是非。
 車があったら、じゃあ行こうって言えるんですけどね(笑)
 2台あったんですけど向こうに1台置きっぱなしのSUVがあったんですけどね...。
 本当はもっといろいろお話したかったんですけど。
 こちらこそ、ありがとうございました。
 楽しかったです。なんか若い頃の気持ちにちょっとなった気が(笑)
 ありがとうございました。


 御年90歳となる深井さんのアトリエを訪れたのは二十歳代の取材記者、本書のデザイナーのふたり。昭和生まれで令和までみっつの時代を超えてなお創作し続けるレジェンドクリエーターの歩み、その片鱗でも若いルーキーたちに感応して貰おうという趣旨から敢えて中間となる世代抜きでの取材とさせて頂きました。

インタビュアー・デザイナープロフィール


●インタビュアー:跡路凌平
・アートジェネレーター
・ポップアップアーティスト
 サイバーダイン社にて主にポップアップデザインや映像制作等を担当
 今回のクニファンタスチカではイラストのデジタルリマスター作業を担当

■関心領域・専門ジャンル
・ポップアップデザイン
・生成AI
・映像分野(VFX、モーショングラフィックス)

インタビューを受けて
 今回のインタビューでは、私が生まれる前の世界の話や深井国先生の経験の話を聞くことができ、とても刺激的な時間となりました。
 クニファンタスチカのルーツに繋がるインスピレーションや、若い頃から積み重ねてきた経験が、作品やスタイルにどのように結びついているのかを知ることができ、長い時間をかけて磨かれてきた視点や感性に触れ世界を見ることの大切さを改めて感じる貴重な機会となりました。

●デザイナー:松本かれん
 ボードゲーム『ゾンビスピード』のデザイン、QRで演者のメッセージや舞台の映像見られる動画連動型パンフレット、「リプレット」シリーズをサイバーダイン社で担当した。
 本書では表紙、本文、WEBデザインを担当している。

インタビューを受けて
 今回深井先生にインタビューをさせていただき、『クニ・ファンタスチカ』のルーツを深く知ることができました。
 お若い頃から絵画の道を進み現在も精力的に新作を生み出している先生を見て、続ける事の大切さを感じ、私も歳を重ねてもデザインをずっと続けてたいと感じました。
 本書を通じて、アーティストの方に直接お話を伺い、デザインをさせていただく貴重な経験をすることができました。ありがとうございました。